ギャラリー展も終わって・・・ 今週は 助手の先生による キャンバス造りです。 適当な大きさを選んで ドンゴロス麻布を切ってもらいます。 それを 木枠に軽く刈り止めをして 電気コンロの上で ぐつぐつと煮立っている膠を ボールにもらって 塗っていきます。 ものすごい 匂いです。
木枠のドンゴロスを もう一度しっかりと 木枠に張り直し 布がしっかりとするまで 乾かしては 何度か塗り直し 乾かします。 ドンゴロスが 荒いためか 売られているような しっかりしたきょんバスにはなりません が この粗っぽさも またいいかと 乾くまで 窓辺で 新鮮な空気を吸います。 その手作りキャンバスで 次の日から 制作です。 パリに来て 初めての対策に 取り組むのです。
でも このぼこぼことした感じにはなじめず 次の展覧会に出す もう一点は 厚紙のカルトンにに しようかと思うところです。
このアトリエに入ってすぐ見た あのルオーの挑戦的な態度が忘れられず その気持ちで 2点の作品を 乗り切れない感は残りますが なんとか 仕上げ 予定していた ル サロんに出品しました。
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夕ドラー13
今日も 出かけるぞと Y教授から声がかかります。 パリの地理に不案内な ニッポン人 僕は 車に乗せてもらっています。 何処かへ行くといったけど 何処かが聞 き取れません。 車はルーブルも通り越して シャンゼリゼの先で 左に回ります。 こんなところに美術館は在るのでしょうか?
到着したところは ふファッションブランドノメゾンです。 まさか 洋服を買いに来たわけではないでしょう!? 洋服を並べられた 店内は見向きもせず 2回に 上がります。 店舗以上に ゴージャス間の溢れる部屋に入ります。
テレビで見たことがありますが セレブな顧客が来た時には 子此方に通して 客の好みそうな洋服を ハウスマヌカンたちが 次々と披露し あれも これもと 買わせる場所でした。 あ こんな 派したない言葉を言ってはいけません 貧乏人のヒガミです。 このホールを見えただけでも 儲けものですよ! その上品なホールに 壁面をめぐらし 後期印象派風の絵画が並べられています。
これ 俺の親父の絵何だ!と言います。 へー お父さんも画家だったんだ! Y教授は おぼっちゃまです!
我々は 勝手なことを言いながら 見て回ります。 教授は ちょっと照れた顔です。
このような ゴージャスなしつらえの中で 印象派の絵を見ていると つい 買いたくなっちゃうんだろうな わんわん
夕ドラー12
次の日 教室に入ると 世話役の女性が近づいて機て 今日 貴方 ギャラリーの受付をしなさいよ と言います。 そして 一緒にギャラリーに行って 色々と受付の心得を教えられます。 その中に もし 展示のさくひんが欲しいという 問い合わせがあったら 此処に電話して と言って メモなどを置いて 教室へ帰ってしまいます。 えー 50年以上も前の事 まだ 携帯電話も在りません。 僕のフランス語では 電話で伝えられる能力はありませんぞ! まあ 如何にでもなれ!と ギャラリーの中をうろうろ みんなの作品を 眺めまわしてますと Y教授が現れます。 そうだ 今日はアトリエに 教授の来る日です。 教室に行く前に 立ち寄ったのです。
お前ひとりか と訪ねてきます。 はい と答え 困り顔をしていると フランス語の堪能な 一郎君が入ってきます。 何故 こいつが一人で受付をやっているのか?と 言葉もできない 奴が一人では どうにもならんだろう というようなことを言ってるようです。 一郎君は 彼がやるというから任せたのだ!と応えています。 え 強制的にやらせられてるんだけどね!
まあ そんなこともありましたが 一週間後 我がクラスの展覧会は 終わりました。 遊学のじぶんにとっては いい経験になりました。 ちょっと アトリエないがぎくしゃくしましたが 僕はこれから 出品したい展覧会が続くので 自由に使える 広い空間の このアトリエを手放すことは出来ません。 感情を隠して 毎日通います。 そして それからも 教授の おーい ニッポン人 だれそれの個展を見に行くぞ と 言う誘いも 変わらず続きます。
夕ドラー11
クラスのみんなで 展覧会のポスターを作った 次の日 Y教授がやってきて ポスターを眺めて お これ 悪くないぞと 僕の作品が真ん中になった 一枚を選んで みんなに見せてます。 みんなの絵は 線描でしたが 僕はシルエットで 表現していて レイアウトが目立っていましたが・・・
そして ギャラリーにさくひんを展示する日です。 ギャラリーは 住居を改装したリビングの安らぎえお感じる部屋が 最初の部屋です。 その部屋の暖炉の上に 僕の作品が飾られました。 いい感じです。
しかし 次の日 ギャラリーをのぞいてみると 僕の絵が そこにはなくなって 目立たない 壁面に 移されていました。
夕ドラー10
次の週は ニッポン人 日本食を 食いに行こうか と声がかかります。 おい おい ニッポン人ばかりかよーと 他の学生から ブーイングが それでも 行きます。 先週 教授の自宅アトリエに行った 一郎君と健次くんも 一緒です。
パリの日本食屋は日本の 2倍ほどはします。 この機会を逃すと 自力では食べられませんし・・・ 遠慮して行かない 選択はできません。が ちょっと 気が引けます。
次の週の 助手の先生の時です。 ボザールの前にある ギャラリーで アトリエ店をやるからみんなで ポスターを造ろう!と 言われます。 小さな木片を配られ 自分の好きな絵を彫り 組み合わせて 絵にしようということです。 なんだか 学園祭気分になります。
ユウドラー9
次の集です。 帰り際 おーい ニッポン人 俺んちへ 遊びに来ないか!と 教授が言っています。
えーと アトリエに歯 フランス語が話せる 一郎君と 隣のクラスですが健次君が来ています。 彼らもいくというので 言葉は大丈夫だと 安心てついていきます。
教授の自宅アトリエは 大学村の一角に在ります。 地下鉄を降りたところに歯 バロン薩摩が寄贈した 和風の武道場のような 日本人のための 大きな会館もあります。 少し 奥まったところの建物に 教授の 自宅アトリエがあります。 アンティークなしつらえで こぎれいに暮らしています。 こんなへやでくらしたいなぁ 今 居候している部屋は 日本のマンションと言われる部屋のように 一面が 大きなガラス窓で 床もりのりゅうーむで貼ってあるし 色調が灰色で 広いけど 味気ない作りです。
何処からか 女性が現れ お菓子を買いに行って コーヒーとホールのケーキをごちそうしてくれます
教授を囲んで 自分の目指す道や 美術界の事を話します。 こんなにも アートの時間が持てていることが 嘘のような 気がするほどです。
健次君はケーキは苦手だというので 僕は 二切れ食べることができました。 パリに来て ホールのケーキなど 貧乏旅行者ですから 口にすることがなかったので 満足の満腹でした。
部屋の隅に アンティークなオルガンがありましたので 一本指でですが さくらさくら を牽いてあげました。
夕どらー8
Y教授と 観に行ったのは るおーテンです。 ルーブル美術館で 近代作家の展示は在りませんが・・・ 今回 特別の展覧会のようです。 今まで見た しっかりと描き上げたさくひんよりも 悪戦苦闘した 完成に至らなかったさくひんが 沢山在ります。 Y教授は ルオーも我らのボザールで 待ちすと共に モロー教室で学んだのだ と 俺の教室から お前たちの中から 彼らのような 素晴らしい 画家が育つ事をねがっている。 というようなことを 話てました。
負かしといてよ!と言えませんが
ルオーの一枚の絵を何年もかき続ける 執念や秘めた激しさにに 感動して それからの政策が 大きく変わっていく きっかけになりました。
次の日です。 面接に付き添ってくれた A子さんが 時々 顔を見せます。 あのさ あの子が 貴方の事を フランス語も 喋るない とんでもないにっぽんじんだと 言ってるわよ!と 教えてくれます。
そうそう その女は北の方 出身らしく せのたかい 嫌味な ツンケン女です。
今朝も 助手の先生が ロッカーの分配をしてたんだけど あのニッポン人には 秘密よ と こそこそ言ってたようです。 そうゆうことって なんとなくわかるもんです。
僕は 次の日 錠を買っていって 助手の先生に ロッカーを貰いました。 木製の ろっかーですから 錠と鍵は自分で用意していかねばならないのです。 あの時 錠を用意していってなかったので 黙っていたのですよ。 あの 女目 座間味朗です。 これで 自分のロッカーも確保でき 重い絵の具箱など おいて帰れます。 ルオーに負けないよう Y教授の期待に応える 力作を描かねば!?
夕ドラー7
次の集です。 教授がアトリエに入ってくると 今日はルーブルえ行こう!と言ってます。 あれ ルーブルの鑑賞会のようです。 我らは 急いで 画材など片づけです。
おーい ニポン人はおれのくるまに乗れ!と言われます。 日本人のわれらは 地理に不案内と 気を聞かせてくれているようです。 Y教授は 生徒との言葉遣いは 俺と お前です。 僕は まだ教授を名前出呼び捨てにできませんが 他の生徒たちは 呼び捨てにしています。
教授の車はベンツのジープで 天壌のホロは巻き込んで オープンカーです。
セーヌ川に沿って ジープは走ります。 ちょっぴり秋めいた 冷たい風邪を切って ウキウキ気分が高まります。 ジープは遮光も高く セーヌ河岸の恋人たちを上から見下ろせて パリの恋人たちって映画を見ているような気分です。
夕ドラー6
Y教授のアトリエに出入りを許され カルトンや えのぐを持って 登校です。 10時から昼まで モデルさんが来て 自由に描く事ができます。
イーゼルを立て 描き始めようとすると 助手の先生が近づいてきて 登録量 70フランを拂いなさいと言います。 一か月の月謝かな!?と思っていたら 一年分のようです。 70フランは 当時 日本円にして 5千円弱ぐらいでしょうか・・・ 余りの安さに ほっとします。 それに お金を取ったからには おいだされることもないでしょうし・・・
Y教授は 週に一回しか来ません。 その日は 生徒の数も いつもの倍にもなっています。 昼になります。 今日は パーティだぞ?と教授は言うと 心得たもので 上級生が 3フランづつ集めて回り 買い出しに出かけます。 3フランなんて 街のカッフェで コーヒー一杯の値段です。 果たして どんなごちそうが出るのでしょ
予想道理フランスパンとやすそうなワイン パンに塗るパテ などです。
それでも ワイワイ ぱんにくらいついて 紙コップのワインをぐびぐび 貧乏学生の集まりらしく 麗しのエコールとパリを味わいます。
夕ドラー5
あ そ! と 教授は 広げた 鉛筆や水彩の スケッチを木の無い感じで見ているような気がして あ こりゃ 不合格かな?? 広げた絵を まとめて 逃げ出したくなります。 教授は でお前は 日本人画家 Hを知っているか?と聞きます。 這い 知ってますよ Hさんは 僕と同じ しこくのかたです。と応えると・・ 俺 Hと 友達なんだ?と言い 僕の作品の中にも Hさんと同じ感性を見つけたようで 突然握手を仕掛けてきて
で お前は パリの風景画を 売るために書いているのか と聞きます。 うーん 日本に帰って パリの風景画展をやれば 少しは 売れたりして ウマクいくと 次の旅のぐんしきんになるかと そんな 下心はありましたのですが そんな点を見透かされていたのでしょうね。
いやー 旅の思い出に書いているのですけど・・・ ごまかしごまかし ちょっと 落ち込み気分で応えます。 そんな間にに A子さんが 彼は 今 友達のマンションに居候しているので 油絵のせいさくができない!など 今日 面接に来た事情など 話してくれています。
教授は いいよ! ここで がんばりなよ! 売るための パリの風景は描くな と言います。
はい 分かりました。 明日から 頑張ります。