月別アーカイブ: 2023年6月

夕ドラー24

 文房具店に あ文房具店と思ったのは ショーウィンドーに 万年筆とか それらしいものがならんでいたからです。  荷造りに必要な ガムテープ ハトロン紙 にづくりひもを 買いに行きます。  で ダンボール箱もありますか? と聞けば 店主産が 裏から 三箱ほど持ち出してきます。 これは 幾らですか? いいよ 上げる!と言われたので マジックも買い足して帰ります。  そして それから スケッチや区ロッキー 小さな油絵を 整理しつつ詰めていきます。  パリに来た頃の懐かしいスケッチ   あー やっぱり 新鮮な 初々しさにあふれています。  物慣れてきて ウマクまとめ上げられたころの スケッチ
 短い間ですが それなりの物語があり 思い出に浸りつつ 整理しつつ 段ボール箱に 詰め込みます。  毎ヨ 通った 区ロッキーは 思いのほか 沢山で
全部送るにはには 重すぎるので 気にいらないのは どんどん捨てます。
 そして 特別 上出来の お気に入りは スーツケースで持ち帰り用にと 残します。  それというのも 僕の了する 日本までの船便は マルセーユ経由かソ連経由の二便があるのですが・・・  どちらも  安全安心とは言えず 運が悪ければ 荷物が行方不明になったり 中を開けられたり 其れでなくっても 取り扱いの悪さで 荷造りが ひらいたり 何かと トラブルが 多いらしいのです。

夕ドラー23

55年前は まだまだ戦後を引きずっているし ドルは360円だったし 旅行と言えば 一泊の温泉ぐらいで まだまだ かいがいに 行く人も無い頃だし 僕には 危うい 視力の障害がありますし そんな状態で 許されるはずの無い 事だとわかっていますが  幼いころ大学病院で 医師から告げられた 思春期で失明の恐れが在りますよ!という言葉と 現実に いとこが30歳過ぎで失明している 状態も 見ていますし。 行くのは今 今行かねば しりょくが失われてしまうと 出かけてきました。   視力が危ういというのは大変です。 特に 屋網の強い ぼくは あっちこっちで 躓きの連続で 周りの人から 変なまなざしを受けます。
 切符売り場の 窓口は暗い ホテルのチエック院のカウンターは暗い 掻き込むカードの文字が見えない 古い建物の 階段が暗い ホテルの部屋は 間接照明で暗い 街のレストランは バーのように暗い
 観光とは文文字に反して光が乏しい! 闇から 闇を 潜水しているような気分にもなります。 それでも 見たかった ヨーロッパです。 頑張りました わんわん

ユウドラー22

そろそろ 持ち金が 危うくなってきます。 ちゃんと 留学と言うような形での フランス滞在でも無し 親の反対をというか 折角務めていた 支援学校も無断でやめ ひそかに パスポートを取り 近くにできた 日本旅行者では モスクワ経由の手配ができないというので東京まで 切符を買いに行ったりも  こっそりと すすめていましたので 全く 親からの援助は   在りませんでした。  と 言っても 働いている間に 家賃も 食肥大も 払っていたわけではないので こちらも 何にも言えませんです。
 仕事をやめて 一週間目に歯 東京に向かって家を出ます。 少しは                      父からの選別はきたいしては いたのですけどね。 唯 母は 出発の前日 僕の好きな ちらし寿司 御萩など 心づくしで 造ってくれます。
うーん まだ帰りたくないな 国立美術学校にも行けてるし 展覧会にも入選したし もうちょっと頑張れば それなりの道もつくだろうし などなど 日々考えつつ 一方では 描き貯めた絵の整理をしたりし始めます。

夕ドラー21

 思えば 春だったのだろうか? そのころ よく日本人の方にも声をかけられます。
脳とるダムの鐘楼に上っているときです。 人品卑しからずの伸氏から 絵の勉強に来ているの?と聞かれます。 はい と答えると 私も 若いころ来ていたんだよ。 で 何処で勉強しているの    と聞くので ボザールと えこーるモンパルナスと 時に アカデミーグランド しょみえーるも言っていますと 応えると そのほうは にやと笑って おんなじだ 私も言っていたよ!と 懐かしそうです。 あれ もしかして 有名な 画家なんだろうか?
 いいな年を取って 余裕が在ったら 僕も パリに来て 出来れば個展をやったり 若いころをしのんで 多比をしてみたいものです。
小さな美術館に行くと 政府留学の 美術研究者などからも声をかけられます。 研究は エコール ド パリ何でしょうか? カフェに誘われ パリの生活の話などします。 その時 何か珍しい 飲み物をごちそうになりました。
 政府留学と言えば クロッキー教室にも いやに 目つきの厳しい 独特の風貌を醸し出している ソルボンヌの理学部で研究している学者さんと 親しくなります。  一度研究室に遊びにおいで   と言われたので なんでも 見ておきたい 見たがりの僕は 出かけます。 ソルボンヌの文学部などは 古い建物ですが・・・ パリ郊外の学園都市に在る 理工学部は   50年前としては 鉄骨とガラスの超近代的な建物でした。 学生の皆さんも きりきりと動いていて 映画で見た 究明病院に似ている ムードでした。
                                      
で理学者さんはこの緊張から 解きほぐされるために 人間的なクロッキー教室に来ているんだ と言っています。         

夕ドラー20

 アレイ後 アンヌとは親しくなって食事に招かれたりもして 彼女も ボザールのY教授の教室にも通ってくるようになります。
 僕が ボザールに自由に 出入りできた理していることや そのごろ 日本も 戦後から復活し バブルの時代を迎えつつあり 印象派以後の 明るい絵画が 求められるようになり Y教授も日本で賞賛されているようで 急に アトリエがニッポン陣でにぎやかになり Y教授の おーい ニッポン人の声も かけられることが少なくなります。
 そのころ セーヌ河畔でスケッチをしていますと イタリアの島の美術学校の教授だという ローマ彫刻のような 荒々しい印象の人から 話しかけられます。
 僕も イタリアの美術にも 興歓心があり 話が盛り上がり イタリアへ 行きたくなります。 じゃ きなさいよ と言われ 美術学校や 教授のアドレスを書いて 渡されます。
フランスに来て ドイツや べるぎー そしてオランダの ヨーロッパの北のほうや スペインなどは 少しづつ 美術館巡りをしていたのですが・・・ イタリアは物騒だというので ちゅうちょしていたので 一気に 恐れを知らない自分が目覚めています。

夕ドラー19

僕は朝から夕刻までは ボザールのアトリエで油絵の政策をします。 食事会の無いときは 電気コンロを持ち込んでいて コーヒーを沸かせ フランスパンをかじり昼飯とします。  マンションに帰って夕飯を食べ  7時からのパリ市立美術学校のクロッキー教室に 出てきます。  しかし 往復に一時間以上はかかるので リュクさんプール講演などスケッチや散策で時間をつぶし そのまま モンパルナスの学校に行くことも多くなります。 パリの冬は夕暮れが早く 寒いです。 そして やっぱり栄養不足で5塲海笋擦藤苅貝圓砲覆蠅泙后
しかし クロッキー教室は 楽しいです。 モデルさんが男女混合で  同時に3人も来るときがあり ルネッサンス絵画のような 組ぽーずもしたり 常に動いている ポーズを 描いたり 日本の学校では 体験できなかった事が多いのです。 それに 様々な国と 学生ばかりでなく 様々な職業や年齢の 人たちとの出会いもあります。
   サロンの会場で助けてくれた アンヌとも此処で 出会いました。  

夕ドラー18

  るサロん祝賀会の日です。 モーニングなどは持っていませんが 日本から 持ってきた いちょらのVANジャケットを着ていきます。
 日本大使館は凱旋門の右に入ったところに在り 日の丸の旗を はためかせています。
 立食パーティだと うわさに聞きます。 もしかして 寿司の屋台とか 天ぷらの屋台がでてるのでは と 心ウキウキ ワクワクです。
 受付で名前を告げます。 失礼ですけど お名前が見つかりませんと受付嬢が・・・ 寿司を前にして これですか・ ガーン またまたのトラブルです。 合格通知も  招待状も届いているのにです。 もしかして ぼくをイタリー人とかに見違えてるのかな!?
 それでも なんとか中に入れます。 レセプションルームには もうたくさんの人でにぎわっています。 やっぱり 着物姿の人もいたりします。
 大使やルサロンの役員産などの お祝いの言葉があり パーティの始まりです。  フランスに来て数か月ですが 僕の知り合いは一人も見つからず 小父さん 叔母さんの年齢の多い中で 二十歳半ばの僕は なじめない空気です。
 フランス ダイイチの サロンに経緯を模様して この祝賀会も開かれて いるのでしょうが 権威主義的な しらじらしさもあり  そんな感じだったので その時寿司を食べれたのか どんなごちそうがあったのか 全然 思いだせません。 わんわん

夕ドラー17

 みなさんで 話し合った結果 最初に 言われたように 少しずつ 左右に動いてもらい 僕の作品を 割り込ませるようです。
 話し合いの内容は フランス語なので ほとんどわからなかったが 雰囲気的に アンヌが頑張ってくれたようです。
 アンヌのお爺ちゃんは  映画 モンパルナスの灯  貧困と病気に悩まされながら 売れない絵を描き続け  苦悩の短い人生を 彼を取り巻く女性たちを交え 東大第一の美男俳優の ジュラル フイリップスが主演し 大評判になりました。
 そんな祖父を持つ マゴノアンヌは 母親も 美術評論家でもあり この おパリで 肩で風を切って歩ける存在です。 ありがとう アンヌ 折角 出品し入選したのですから
僕の作品も 沢山の人に煮てもらいたいです。
 それから 数日後 パリの日本大使館から るサロん入選の祝賀会の案内と招待が届きます。
わー モーニングにシルクハットが必要ですか!?

夕ドラー16

 次の展示場への角を曲田ところで 君の絵が ソファの上にあるよ!と ボザールでの 同じアトリエの 見知った顔が 居指差し 言いながらすれ違っていきます。
 えっ 何のことだろうかと 指さされた 次の部屋に入ると その部屋は少し広めで 真ん中に ソファがおかれていて なんてことですYか 僕の作品2点が みなさんの作品が かべにしっかり立っているというのに ソファでのんびり横になっています。
これはどういうことですか・・・ 色々 紙を張ったり 破いたりしているから 展示されずに ここに置きっぱなしになったのですか? だが 合格通知は 確かに届きましたし と なすすべもなく 唖然としていますと・・・
 その時 向こうの部屋から ひょっこり現れたのは モンパルナスの市立美術学校の黒っ気教室で 一緒の アンヌでは在りませんか  彼女に この状態を示し ますと 彼女は あっ と驚いたかをしつつ 直ぐ事態を察して 事務室へと 走ってくれます。
まもなく 事務局の お偉方数人と 作業スッタッフまで  引き連れて帰ってきます。
事務局の人達は 僕の作品を 壁に立てかけながめてます。 あら 悪くないじゃない!と 女性の一人が 言いますと みなさんも納得した感じで 其処の壁に 描けようとしますが 其処に歯 それなりに 配列されて さくひんが飾られています。 僕の作品を飾るためにはじかれそうになった作品の画家さんが それをっ刺してか  その場に来ています。駄目だよ 困るよと抗議してきます。
作業ふたっふさんが じゃ 君のさくひんは あそこでどうだ と指をさしています。
その 指さされたところは  2回に上がる階段の踊り場で 展示場から離れていますし 誰もその階段を利用していません。

夕ドラー15

描き上げたさくひんに 板を買ってきて カリ額を作ります。 そして 搬入です。 ボザールから 展示会場の グランパレまでは3劼曚匹任垢 30号と40号のさくひんを持って歩くのは難儀です。 50年も前の事ですから 歩いて持って行ったか? 地下鉄で行ったか? そして パリで一番大きい展示会場グランパレの 何処で どんなふうに 搬入したかも 思いだせませんが 自分一人で よくできたものだと 思って 自分のことながら感心したりしています。
 数日して 2点の合格通知が届きます! わー よくやったぞ と自分で自分に乾杯です。 昔は るサロんは画家の登竜門 一番の美術展です。
自分で作ったキャンバスに パリに来て刺激の受けた あれこれ 最初にY教授の言われた 自分のために描きなさい!と 言われた意味が 少し分かりかけ 悪戦苦闘で画面に盛り込んだ さくひんの合格は やっぱり 嬉しかったです。
 展覧会初日です。 勇んで グランパレに向かいます。 何処に 展示されているのだろう。 日本の美術雑誌でも 見かける画家の絵もあり さすがだな と 思鵜が それは後でゆっくり見るとして まずは 自分の作品を探さねば と 次のコーナーへ向かいます。