月別アーカイブ: 2024年5月

美味しい ごはん

 友だちが 言います。 病院の送迎バスの中での会話で おばちゃんたちが この頃 ご飯を炊かないのだとか?
 弁当のために 1合だけたくとか・・・ 夜は おかずだけ食べるとか そんな ごはん離れの かいわが 多いそうです。  そうそう スーパーの入口に お総菜やさんが ありました。 そこで 炊き立てのご飯を 量り売りで売っているとか 売り場には いろいろと チンすれば食べられる ごはんもあります。  自宅で 炊き立ての 一粒一粒 立ったご飯など  ずーっと前の話になってます。 日本の原点と言われる 力の源 お米だが ごはん離れが どんどん進むばかりです。

OB展ー15

 5月26日 OB展 恩師KON先生の 13回忌追悼展の 終わりです。 OB展も今回で 終わりに・・・と 思っていたし ブログにも書いたし マスコミの取材でも はなしたりしていましたからか 思いのほか 沢山の方が観に来ていただけます。
 終わりを告げると なんとなくさみしくなります。 故郷を離れて暮らす者にとっては 一つの 故郷のつながりになっているようです。 高校時代の  クラブ活動からすると 60年も前からですし 先生がが転任して クラブ活動 放課後の 美術準備部室の室の 楽しい思い出が忘れられず OB展を 初めて 50年 半世紀も過ぎてしまいました。
 もう 年を取ってしまって 気力がないとか 弱音を吐く者もいますが・・・ 一応3年後 このギャラリーを予約しました。 この秋か 来春 OB展ではなく  先生の 眠る 京都の樹木層をされている お寺に お参りしたいとか 慰労会をやりたいと 思っています。
長々と 書き連ねました。 皆さんの 思いも聞かせてください

OB展ー14

 恩師 KON先生の  13回忌追悼OB展の始まりです。 追悼展を始めて 30名ほどの参加がありました。 幸いにも 参加者が その間に亡くなることは ありませんでしたが・・・ 3名ほどは ただいま病気静養中で 今回は お休みです。  あー 後を続けてやれるでしょうか・・・
 今回の 特徴として 何十年ぶりかに 絵筆を持ったとか お孫さんが2名 娘さんが1名 お父さんやおばあちゃん に混ざって 出品参加しています。 そんな形も有りかな!と思えます。
 それと S君の高3のときのの担任の先生が 毎回 身に来ていただけ そのクラスの 生徒さんが いつも一緒に 10名ほどは集まってくれています。  そんな集まりの場になっているのも 嬉しいことです。

OB展ー13

 あー 時の流れは早く  3回忌から 4年が過ぎ 会場の都合がつき 7回忌に 第二会追悼OB展が かいさいされる運びとなります。 シカゴや東京 の遠くのメンバーが 随分心待ちにしていて 充実した 展示が出来ます。  それではと 10回忌に 次の展示が予定されることになります。
先生の家に保管されていた 先生の 所で 正月の集まりに 大きな 紙に寄せ書きした書初めが 何枚も見つかり それを 水墨画を書くメンバーが 裏打ちしてくれ KON先生の 珍しい 署の作品とともに 今回のメインに飾ります。
 私事ですが 前回 あたりから 幼いころから 患っていた視力が とうとう 失われてしまいます。 果たして 自分は あの頃の書初めに 何を書いたのだろうか みんながどんな作品を書いているのだろうか?と みてみたいな と思うのですが イメージが交差しますが 残念にも  空想の枠を 超えることはありません!

OB展ー12

 開催中の真ん中あたりで 会食の集まりを持ちました。 連日の雨のころでしたが 沢山のなかまが集まります。
 次回の事も話題になります。 じゃ 次は7回忌にどうだろう? いや そんなに間を開けていたら われらも 死んじゃうよ!と 高齢者の仲間に 入っていく年代です そんな さみしいことになりかねません! といいつつ 会場の予約ができなければ 難ともなりません。
 新聞が2社から取材もあり CATVもしっかりカバーしていただいたり それぞれの同級生が来ていただいたり いい感じで 最終日を迎えます。
 KON先生の末の娘さんと 弟さんが  片づけに参加していただけます。 弟さんは KON先生と 面差しや雰囲気も とても似ているし 娘さんは 奥さんに声が似ているし 懐かしく 二人を忍べます。
                                          作品が撤去された会場は 無性に寂しさを放っていて 早く 次の OB展が待たれます。
               

OB展ー11 恩師KON先生の

恩師 KON先生の3回忌が過ぎた春 追悼のOB展が開催されます。
 会場正面には 先生の若き日の作品から 関東へ引っ越され 都会の一角を切り取った ノスタルジックな スケッチまで 展示去れます。
 会場には 教え子である我らの 学生時代の作品から 美術学校時代の作品 社会に出て新しく見つけた 作品 油絵 水彩画 版画 水墨画 陶芸石彫 ガラス工芸   様々の作品が 所狭しとならびます。
遠くは シカゴ ローマ 東京 福岡から 作品が送り込まれたり 駆けつけてくれたり 賑わい豊かな会場になっています。
 先生の作品は息子さんが運び入れてくれ 二人の娘さんも 会期中に 見ていただけます。
 先生が存命中に こんな作品展を見せたかったね!と声もあります。 いやー 先生は きっと天国から ごっちゃりした 展示を 観られて まだまだだな!?と にんまり 笑ってみてくれていることでしょう。

OB展ー10

 高校時代 若気の至りで 先生に 反発したり いたずらもしたものです。 その時 それに 先生も 未だ20代 我らに押収したりで まあ 兄弟喧嘩のような 事もあったりで それも それで 思い出となりますが・・・  2度と会えない 人になってしまわれると 何とむなしい 事でしょうか?  そんな中で もう一度 OB展をやろうじゃないか そうだなぁ 供養とおもってやろうや! いつの間にかそんな話が持ち上がり  KON先生をしのぶ OB展の話が決まります。   まず 会場探しです。  最後に  OB展 故郷への便り店をテーマーに開催した 紙の資料館のギャラリーが ちょうど3回忌に当たる 2年後の3月に 空いているとのことで 急ぎ 予約を入れます。    作品がどれだけ集まるか? そんなことも 先が読めませんが どんどん 話を進めていきます。
 先生の遺族の方に 相談し 遺作をメインに 置きます。 そして 思いでの 写真 なども並べましょうか
 現在 政策をしていないものは  高校時代のの作品でも良し・・・
 そんなことを 話し合っていると 沈みかけていた 気持ちが 一気に膨らんで 高校時代の わいわい気分が満ちてきます。

OB展ー9

 OB会のメンバーの間で 先生を囲む会を 関東でやろうよ! と 計画が持ち上がり・・・ メンバーの 独りが箱根のホテルで出世しているらしい やすくりょうできるだろう とってことで 話を進めているところ その ホテルマンは その秋に 亡くなります。
 そして 恩師KON先生が 年が明けたころ 入院されたと 東京のメンバーが伝えてきます。 少しづつ ずれがおこり お見舞いにも行けないまま 先生は あちらの世界に行かれてしまいます。
 葬儀は横浜で行われ こちらの 我々は 参列できないまま 一対の お花を心ばかりに 備えさせていただきます。
 49日の法要は こちら故郷で 行われるとのことで OB会メンバーは そろって出かけます。 張るとはいえ 心ばかりでなく薄ら寒い葬儀場でした。
 帰り道 レストランに立ち寄り 厄落としの 宴を持ちます。 恩師 KON先生のいない 美術部OB会は もう 会うこともなくなるのかもしれないと 扇のタガが外れたような 心もとなさが みんなの心にも迫っているような 不安感があります。

OB展ー8

 恩師 KONせんせいは 退職した OB会のめんばーと 美術館巡りやスケッチばかりでなく 居酒屋巡りも楽しまれているようです。が  そんな楽しみの中 先生は がんを発症してしまいます。 それでも 抗がん剤治療の合間に 時折 此方四国にも帰省してこられます。 そんな時は わが家にも立ち寄って ミニ同窓会を 急遽開催し OB会の つながりも続けられます。  しかし がん治療は なかなか完治せず だんだんと 弱っていく 様子が見えてきます。
 それでも 最後の力を振り絞るように スペイン旅行やイタリア旅行のツアーに参加し 美術の根源に触れる旅にも出かけられます。
 そうそう ワン吉も  老後には もう一度 財力と視力と 体力が残っていたら 先生と同じような夢を持っていたことを 思い出されます。

OB展ー7

故郷への便り店が 我らOB展と紙の資料館の共同企画で 思いのほか にぎわって成功です。  気分の高まりもあり またOB展を続けてやろうや と 熱いこえが上がります。
しかし その機運の高まりに 反比例するように 勝手の美術部部長で OB展をひっぱってくれていた 先輩だけではなく 後輩までも 数人 惜しくも亡くなります。  不幸というものは 何故か続くものです。 恩師 KON先生の奥様も 級の病で あの世の人となります。 先生も 我ら部員も 先生の奥様の おおらかな気分にさそわれ 年始や盆休みに お宅に寄せていただき 交流を続けていくことができます。
が 傷心のKON先生は 独り暮らしになった生活を 都会に求め 横浜へと 引っ越されていきます。
先生は 都会で 画学生のように クロッキー教室に通い 美術館を巡り スケッチ旅行にと すごされているようです。  幸い 東京には OB会のメンバーが 幾人かいて そちらはそちらで 楽しまれています。