月別アーカイブ: 2024年6月

美味しいご飯ー21

 70年前のそのころは 毎日あわただしく 働いていた お百姓さんも 三賀日 それに続く10日の戎さん 小正月の15日までは 田圃には出ず 切り餅や霰を作ったり秋に軒下につるしていた 吊るし柿  ほしいも 焼餅の入れたぜんざい など 毎日 ごちそうを炬燵で 食べ 過ごす日々だったりしますが  切り餅や 何かの保存食など こさえて手を動かせていたかもしれません。
2月の節分が過ぎると 畑には 取り残ししていた 菜っ葉や大根が  はな芽を出しはじめ 黒々とした 田圃も 一気に 薄緑の蓮華が覆い初め
つ次々に咲く花とともに 大地が甦ってきます。 肥沃な土地が 待っていて  また太陽光と 清らかな水の中で八十八の手をかけて 美味しい 米作りが 始まります。 おわり

美味しいご飯ー20

 2日の朝 父さんが 今日は田植えだ と 家族を急がせ 田圃に出ます。 田圃の 隅に もう一つ小さな田圃が作られてます。 家の井戸から くみ上げてきた バケツの水を その田圃に 張ります。 水田の出来上がりです。 萱の茎の先を切りこんで 小さな四角な半紙を差し入れ それを 稲に見立てて 田植えと同じように 列をそろえて 家族みんなで植えこんでいきます。
 これは 今年も豊作を祈願した 事初めの行事です。 稲穂が垂れるほど実った 田圃を祈願します。  そして 今朝も 父の炊き上げた白いご飯と 餡餅の おぞうにで 朝ご飯を済ませます。
 今日は 事初めの日だからと 母さんが 大きな半紙を座敷に広げ 書初めを 刺されます。 墨をしっかり擦って 大きな筆で
日の出 とか 初日の出とかを 墨痕も鮮やかに??書き上げます。 へなちょこ文字ですが 現代書道なら いい点かもね。  それから 本家に 新年のご挨拶に出かけます。 気持ちは ばぁちゃんからの お年玉に 奇態わくわくです。

美味しいごはんー19

 30日には お墓の掃除にも行き 鏡餅や神棚も お正月じゅんびを終わらせて 31日には 庭先も掃き清め 除夜の鐘を 待つばかりです。
 70数年前頃は テレビのなかった時代ですから まだまだ 昔ふうで 年越しそばなどもたべていなかったし 炭火のこたつで ひっそりと 新年を待っていました。
 
真夜中近く 神社に近い わが家の前の党利を ぞろぞろと 初詣に 向かう人の足音が聞こえ始めます。
 さあ 新しい年の夜明けです。  角先には国旗日の丸を立てました。
父さんが かまどで 新米を炊いております。 初めチョロチョロ なかパッパ いい匂いです。 少し蒸らして ふっくらとした ご飯を 神さんに備えます。  お雑煮の用意もできました。 澄まし汁に 餡餅が ここらの定番です。
 そこまでは 男がするものだと 父さんが 全部作ります。  食卓には   年末に用意していためでたい 正月料理が並べられていて おめでとうございます。 今年もよろしくお願いしますと っ家族で 新年のあいさつを交わし 箸を取ります。
 元旦には あまり外に出かけるものじゃないと言われ 姉とすごろくやふくわらいをしつつ 火鉢で餡餅を焼いて食べたりで のんびり過ごします。

美味しいご飯ー19

 30日には お墓の掃除にも行き 鏡餅や神棚も お正月じゅんびを終わらせて 31日には 庭先も掃き清め 除夜の鐘を 待つばかりです。
 70数年前頃は テレビのなかった時代ですから まだまだ 昔ふうで 年越しそばなどもたべていなかったし 炭火のこたつで ひっそりと 新年を待っていました。
  この回想分の 自分の幼年期頃には
70数年前は テレビもなく

おいしいご飯ー18

 つきあがって ホカホカでぴかぴかの餡餅 早速父は 一つつまんでパクリ あっ その前に 餡子も一つつまんで  自作の 餡子二個入りの餡餅にして ほっぺたを落としながら食べてます。  わーん 僕も欲しいよう 甘えて 母さんに 餡子がダブルの餡餅を作ってもらい 親子で 頬っぺたを落としながら ぱくぱくの甘党親子です。
ふた碓目は 丁寧に突き上げ お供え餅を作ります。 先ず 床の間に飾る 鏡餅です。 丁寧に  盛り上げて 鏡餅は輝いてます。
それから神棚や  仏壇や 台所や 井戸の神さん 用など小さな重ね持ちを 沢山作ります。                                         その後 豆入りやヨモギ餅 伸し餅にする赤や緑や黄色の あられ用のもちもつきます。 さん原文ですから 八ぢょうまに 積み上げた物蓋でいっぱいになります。 朝から始めた 餅つきですが 夕暮れ近くまでかかってしまいます。
 片付けが終わると 大根と鶏肉の 鍋がふるまわれます。 これまた 美味しくって 冷や飯にぶっかけて  何倍でもいけます。 みなさんの 腹にも 鏡餅が重なってます。
そのころには  あっち此方から聞こえていた ホイパッポ ほいぱっぽの掛け声もいつの間にか病んでいて 後は 大晦日を待つばかりです。
         

美味しいご飯ー17

 籾すりも終わると お米の出荷です。ドキドキ
一年間八十 八の手間をかけ 大切に手塩にかけて育てた我が子同然のお米を 農協に 出荷をします。 気持ちは育てた 娘の結婚です。 まずお見合い 審査があります。 筒の先を切ったものを グサッと突っ込んで 一握り程度を 伸さ用の  平らな四角い皿にひろげます。 タイ風にやられた年は  悲惨です。 いい結果が期待できません。  天候に恵まれた年は 特急米か 一等米  農協の出荷場は みなさんが わくわく 良い正月が待ってます。 僕には 子供自転車を買ってくれるかも!?  年の瀬の30日は 村でこぞって餅つきです。 路地を行くと 無視上がってくる もち米の湯気がにおいます。 それぞれ自分の田圃でとれた自慢の糯米です。
 さぁ 無視上がったぞ と父が 晴朗のもち米を 臼に投げ込みます。 
わが家は本家と 隣の親せきと 一緒に餅つきです。 本家のおじさんが 突然亡くなってからは  本家のおじさんの友達が 助っ人に来てくれてます。 
おばさんたちは割烹米賭けに 日本手ぬぐい意を姉さんかぶりで つきあがてくるのを 今か今かと待ってます。
 ひと薄目は 餡子の入った丸目持ちです。 あつあつの餅を適度に切り取り 餡子を丸め込んで ぽいぽいと 飯台に投げます。 そこまでは 本家の叔母さんの役です。  それを一つ一つ お嫁さんとか姉さんたちが 柔らかく掌で丸めていきます。

美味しいご飯ー16

 お百姓さんは 稲刈りが終わっても のんびりはしていません。 田圃を無駄にしないように 麦まきをしたり 大根や ほうれん草 冬野菜を植えたり・・・  使う予定のないところには 蓮華層の種をまき 蓮華層の根っこの栄養を 来年の 田圃づくりに生かすため そだててます。
 わが家は牛や 豚 鶏   戦後すぐには ヤギや羊も買っていましたので小麦や大麦も作っていました。
 麦は 痛めたほど立派に育つと芽が出て 伸び始めると 麦踏みをします
北風の福仲 父さんは タオルでほっかむり ワン吉は マフラーをまいてもらって 父さんが後ろ手に 腰をかがめて歩くのに 遅れまいと 父さんの 手を追っかけて ついていきます。
やせっぽちで小さい ワン吉の体重では 対して役に立ってはいなかったでしょうが・・・ 手伝いが出来る 楽しさで 頑張ったりもしました。
 其のごろ もう僕は 薄暗くなると 足元が おぼつかなくなっていました。 溝や畝のでこぼこが分りません 父さんのづ本のベルトを 離せません! 冬の 夕暮れは早い。 もう帰りたいな かえろうよ!わんわん

美味しいご飯ー15

 昔の思い出を書いていて はっと 思い出したことが・・・ 中学の時 女子は家庭科 男子は職業という 授業がありました。 女子は浴衣など縫っておりましたが 男子は 稲を育てたりの農業実習でした。
 その中で 発動機を分解する実習もありました。 もしかして あの分解されていた 発動機は わが家のでは・・ そのころは あの真っ黒い蒸気機関車のような発動機は使わず 脱穀気には耕運機のエンジンでやっていたのです。
 その職業科の先生は 農業実習のときは 父に何かと相談をしに来ていましたし 耕運機や 脱穀気などは わが家のを使っていました。 あーぁ 中学校は わが家の近くから 5年後ぐらいに 統合され ずーっと向こうに行ってしまいました。 そして 職業という時間はな無くなり 男子も ボタン付けとか 料理実習を するようになったとか。 で わが家の発動機は屑鉄になったのでしょうかね?

美味しいご飯ー14

 リアルタイムでは 現在 この辺では 田植えの真っ盛りです。 乗ってできる 田植え機ですから 小さな田圃ばかりなので 何度か往復すると  あっという間に田植えは終わりです。
 稲刈りもコンバインですから 稲を刈って 脱穀し 籾を 袋図目にして ポンと はじき出し  イネわらは 切り刻んで 田圃にまき散らしてくれます。
 そうそう あの頃の脱穀や屋もみすり機は 黒い鉄の塊の 発動機を据え付け ベルトを通して 貴会を動かせていました。 なんだか 蒸気機関車のようで 力強いたくましさがありました。  この頃 其の発動機マニアがいて 持ち寄り 発動機を ドッドと動かせて 楽しむ会の様子が テレビで放映されていまして おオッ もしかして 本家の 納屋に 残っているのでは と ガラクタ収集家のワン吉は 隅から隅を 探ってみましたが 残念 見当たりません!? 父に聞こうとも あの世の人出は 音信が普通です。

美味しいご飯ー13

 都市によっては 未だ脱穀をせぬまま イネが田圃の竿に掛かったままで 突然の 寒波に見舞われ 雪をかぶり 焦りながらの 脱穀となったりする時もあります。  脱穀が終わり  イネの乾き具合で 次は もみすりです。 まだまだ渇きの甘い時は 家の 広庭に筵を敷き詰め 太陽に充てます。  その時は 僕は昼休み 学校から抜けて帰り 干しているいねっつぶを熊手のようなもので 混ぜ返して 下の者を上に返して しっかり太陽に 当てます。  乾燥が程よく完成しますと 次は もみすりです。 もみすりの機会は大きく 築で 一大買ってあり 村長さんの家の納屋に おかせてもらっています。
 モミが取れるとやっと お米の完成です。
 でも 田圃に放置されたイネわらも もみすりでできたもみ殻も 農家にとっては 大切な 資源です。 庭で もみ殻を焼きます。 蒸し焼きになって 炭化したもみ殻は 貴重な 肥料です。
 そのもみ殻を焼くときには サツマイモを くべて 一緒に蒸し焼きにします。 ほくほくの 焼き芋ができあがり 初冬の一番の おやつです。