賽の河原は・・・今

○こころ旅の投稿文です。
 ずーっと以前、若い頃です。「最果て紀行)っと言うのでしょうか、五島列島から佐渡島、小さな島々飛島なども織り交ぜ、そして最後に北海道の奥尻島へと旅をしました。
 本土から遠く離れた島々は、厳しい生活があるのでしょう。何処に行っても島には祈りの場所が在ります。

 奥尻島の港に降り立ち、直ぐ右手に曲がった辺りがに賽の河原が在ります。其処は陸地とも砂浜とも言いがたい、唯広々とした所です。其処には確かに沢山の石積みがされて有ります。
「賽の河原」と、言えば、寺の一角に寄り添うように在るものだと思っていました。が、此の心を寄せる術も無い空虚な空間に広がる景色に驚きと共に、此の島の歴史の深い悲しみの様なものを感じました。

 其れから数年後、1993年の北海道南西沖地震で津波に襲われた奥尻島がテレビに映し出されます。
 港には船が乗り上げ、港左手の海岸に在った泊まった民宿など跡形も無く流された悲惨な光景、自然の脅威にただただ唖然とするばかりでした。
 そして、其れから、あの頼り無げに在った祈りと願いの賽の河原は如何成ったのか心に掛かります。
 そんな思いの募るなか、東日本大地震の大津波が
東北地方を襲います。果たして奥尻島は復興しているのだろうか。賽の河原には願いを込めて石を積まれる様に成っているのだろうか、それとも唯何も無く成っているのだろうか、と 日々思わずにはいられません。

 空と海に向かい広がるばかりの地に、脈々と受け継がれる風土に根ざした祈りの空間も復活している事を信じて、自転車の旅する場所に相応しいか、どうか迷いましたが、今、如何しても見たい、見せていただきたいと思い投稿させて頂きます。

○昨夜 放映が終わりました。
火野正平さんが「奥尻は見事に復興していましたよ!」と、
テレビから語りかけてくれました。
だが、僕の記憶の中に在る賽の河原は、
広がる大地と空の間に楚々として
もっと乾いた感じに在ったような気がします。
町はパワーを持って復興しておりましたが、
其処は戦火の跡のように、生々しい物が残っていて
重苦しさを感じました。
震災の被害の甚大さを物語っている気がして、
胸に迫る物が有ります。
島の人たちは、沢山の悲しみを
此処に積上げていったのですかね。

なにあともあれ、旅の思い出と想いが
映像と成って見れた事、
皆さんに見て頂けた事は大変 良かったです。