雀はどこへ

 我が家は分家で 田んぼの 真ん中に 父が家を建て農家を営んでいました。   それは 戦後すぐのことで  小作から解放された勢いで 活発な 農業が盛んでした。
 稲刈りも コンバーターなど 機会かが進んでいなくって 刈り取った伊那束を 田んぼに長い竿を渡し 自然乾燥をしておりました  それは 雀にとっては 御馳走が並べられているようなものですから それはそれは たくさん集まって来て すきを見ては 食べ散らかされていて お百姓さんの 鳥脅しと強壮でした。
鳥捕りさんが 霞網をもってきて 雀を一網打尽にしていく 業者さんもいました。 そこで捕まえた雀は焼き鳥屋さんに おろすのだそうです。
 春には 瓦の隙間の軒下に 雀の巣がたくさんでき 藁すべがぴらぴらぶら下がっているところから 雀の子がぴぃぴぃと鳴く声が あっちこっちから聞こえていました。 戦後すぐの田舎は 良寛さんや蕪村さんの 世界がそのまま残っていたかもしれません。
きな工場がで 徐々に兼業農家になり 庭に 鉄筋の家が新築されるようになり 農地がだんだん少なくなっていきました。 それとともに 雀もどんどん 姿を消していきます。
 我が中学校は やはり 田んぼの中に立っておりましたので・・ 2階の教室からは 麦畑から ぴ ピ ピと 空に い直線に飛び立つ ひばりや のんびり ピーひょろろと 輪をかいて 大空を飛ぶ トンビを眺めながらの 授業でもありましたが 次第に そういう景色もなくなりました。
 10年ほど前ですが 海岸道理に 白い喫茶店が出来ました。 グランブルーの映画に出てくるような かっふぇで評判になりました。 瀬戸内の海に面したところは 前面 がらすまどです。 堤防に マスターが パンくずなどを置いたのでしょうか? それに 毎日 雀がやって来て ついばむ姿が かわいらしく 懐かしい景色で 新聞にも 取り上げられております。 そうですね。そのころは 我が家あたりの 田舎でも雀は見ることが亡くなっていました。
 大きくって 行儀の悪い ムクドリが 庭の果物などを 食い散らかすのが 目立つようになってしまいました。  時にはニ 三和雀がいることもありますが 餌場もなく 小型の雀は とても住んでいられない 日本になってしまったようです。