悲劇の庭から、もっと悲劇の庭
十八世紀に築かれた要塞都市テレジーンに行きます。
第二次世界大戦で、ナチスドイツによって
西ヨーロッパ諸国から集められたユダヤ人の
収容所に使われます。そして、此処を通過地点に
かの有名なアウシュビッツなどの
絶滅収容所へと送られて行ったのです。
要塞の中は一個の村です。学校も在ります。
学校痕が捕虜記念館になっています。
行動に入って映画を見ます。
古く薄い映画は僕の目には全然映りません。
此処テレジーンは楽団の在った事で有名です。
子供達の合唱隊も在ります。
赤十字からの査察の折、
「我らは此れほど文化活動や教育にも力をいれている」と、
ナチスは虐殺の実態をカモフラージュする為に、
音楽や歌を聞かせたのです。
映画は其の様子を映しています
査察が終わり、御用済みになった楽隊員や子供達は
絶滅収容所に送られ、処刑されたのです。
収容所の芸術家たちは子供に絵も描かせます。
其の事も、文化的教育の一旦と思わせる為
ナチスは黙認します。
教室には戦後発見された沢山の絵が飾られて在ります。
暗くって僕の目にはよく見えませんが、
細っこいバッタのような人物が多く見えます。
決して楽しい気持ちは伝わってきません。
自分の心も体も汚されたような暗い気持ちに成って
外にでます。外は冷たい小雨です。
皆押し黙ったままバスに乗りプラハへ帰ります。