アレイ後 アンヌとは親しくなって食事に招かれたりもして 彼女も ボザールのY教授の教室にも通ってくるようになります。
僕が ボザールに自由に 出入りできた理していることや そのごろ 日本も 戦後から復活し バブルの時代を迎えつつあり 印象派以後の 明るい絵画が 求められるようになり Y教授も日本で賞賛されているようで 急に アトリエがニッポン陣でにぎやかになり Y教授の おーい ニッポン人の声も かけられることが少なくなります。
そのころ セーヌ河畔でスケッチをしていますと イタリアの島の美術学校の教授だという ローマ彫刻のような 荒々しい印象の人から 話しかけられます。
僕も イタリアの美術にも 興歓心があり 話が盛り上がり イタリアへ 行きたくなります。 じゃ きなさいよ と言われ 美術学校や 教授のアドレスを書いて 渡されます。
フランスに来て ドイツや べるぎー そしてオランダの ヨーロッパの北のほうや スペインなどは 少しづつ 美術館巡りをしていたのですが・・・ イタリアは物騒だというので ちゅうちょしていたので 一気に 恐れを知らない自分が目覚めています。